弓道大会の沿革

 第1回大会は、「全日本勤労者体育連盟」弓道部門の「全日本勤労者弓道選手権大会」として、昭和28(1953)年5月17日東京電力株式会社本社弓道場において、13事業所から団体戦(事業所対抗3名)に、26チームが参加して開催した。
 翌昭和29(1954)年には、団体名が「全日本実業団体育連盟」に改称され、大会名も「全日本実業団弓道選手権大会」と改め、10月に第2回大会が東京都恩賜公園弓道場において開催した。
 昭和31(1956)年の第4回大会から、㈶全日本弓道連盟のご後援を賜り、会員が勤労者ということで、以降の大会開催は「勤労感謝の日」を目途に開催することとなった。
 昭和32(1957)年度に、「全日本実業団体育連盟」の組織変更があり、各種目ごとの連盟に分割され、昭和35(1960)年度からは和弓と洋弓合せて「全日本実業団弓道連盟」として連盟を結成。大会名も「全日本実業団弓道連盟弓道大会」として、弓道部門と洋弓部門に種目別区分して毎年開催している。
 その後年々参加者が増加してきたため、一般の弓道場においては1日での開催は不可能な状況となり、東京都体育館等館内に特設射場を設営しての2日間開催へと発展してきた。(洋弓は別会場)
 昭和37(1962)年10回大会からは、通信射会や東西対抗戦・個人戦など種目を追加した。
 昭和43(1968)年16回大会からは、団体戦(事業所対抗)に、産業別4部門を追加して、更なる発展を目指した。
 昭和51(1976)年度伊勢大会からは、弓道の醍醐味である遠的競技を新設した。
 昭和52(1977)年25回大会からは、全競技を本連盟制定の色彩的1.2尺(36cm)得点制にて実施することにした。
 昭和55(1980)年度には洋弓が「全日本アーチェリー連盟」を結成分離したことで、以降の大会は弓道単独開催となった。
 なお、平成元(1989)年37回大会からは伊勢神宮弓道場を2年おきに、明治神宮武道場至誠館弓道場を2年連続開催とする、交互開催方式とし現在に至っている。